きりきりだらだら

思ったこと、もろもろ。富山では馬鹿者をだらという。

忘れてしまった

夢の内容は忘れてしまった。さっきまで見ていたのに。
夢の記録を不定期でつけだしたが、この記事はあえて文体を変えている。
このテーマの記事を遡って読んでみると、自分だけだろうが面白い。他の記事は読み返すことはないけど。ああ、これ覚えてるっていう夢もあれば、全く記憶にないものもある。

夢かどうか見分ける手段の一つとして、インセプションの「どうやって今自分がここに来たか思い出してみろ」というディカプリオのセリフがあったが、自分にはこれは到底無理だと思った。夢の中は夢だと気づかないのでそんな事すら発想できない。たとえ時間が戻って学生の時の夢を見ていても、あたりまえのように過ごしているから、?とか、何かおかしいとかそんな疑いを持たない。
あれはどうしてなんだろう・・・すごいCGを観てもCGだと気づく時があるのに、それを感じさせない脳の中はもの凄い演算の嵐なのか。それとも意外に単純で、脳が全くこれまで考案されていない仕組みか何かで見せてくれている体験なんだろうか。