きりきりだらだら

思ったこと、もろもろ。富山では馬鹿者をだらという。

母が倒れて1年

母が脳出血で倒れて1年経った。倒れる約9ヶ月前に夫を失い、娘の闘病の心労も重なり、風呂上がりいわゆるヒートショックを起こして倒れた。幸運な事にその頃妹が病院から一時帰宅していたため、すぐに見つけて救急搬送した。出血量が少なかった事で手術はされず、薬とリハビリでしばらく入院生活を送った。

倒れた直後から比べれば驚くほどの回復ぶりだが、体の右側に深刻な麻痺が残っていて自力歩行は出来ないまま。施設で今もリハビリ中。娘の葬儀等で3日ほど一時帰宅、大事な時期に十分なリハビリができなかった事はそれなりに影響しているように思う。とにかく1日動かしていないと筋肉がカチカチになってしまっていた。素人の思いつきでマッサージは時々していたが、何かと痛がるので十分に対応できなかった。

戦犯は私。夫を亡くし、娘も闘病中という母の辛い時期を、なぜ長期休暇を取るなどしてもっとそばに居てあげなかったのか。悔やむというより普通気付くだろうとほとほと自分に呆れる。自分自身、この先いろんなことがあって痛めつけられればいいと思う。

妹は生前Miitomoをやっていた。兄はどんな人という問いに「非情ではない」と書いている。兄がいつか見るのはわかっていたはずだ。これは優しくもあり痛烈な批判。妹の死去の後、偶然目にした直後はさすがにショックだった。

自分は今、少し鬱になっていると思う。父の介護はほとんど地元に住んでる母と弟、妹がしていたが、それでも母らから比べれば僅かな経験と僅かな知識は得られたので、介護という問題を抱えた人がどういった心境や状態に陥るか、ほんの少しだとは思うがわかった。ひどい話だが父と妹の死去後は少し気が楽になった自分がいる。

正月に一時帰宅した母と少し過ごせた。トイレまで連れて行ったり、マッサージしたり。一緒に戻って施設に母を残す時は泣きそうになったが、また近いうちに行く。寂しい思いをさせるけど、直ぐにまた父の三回忌、妹の一周忌だ。また会える。そしていろいろやることもある。

脳出血などの病気は、やはり脳へのダメージがそれなりにあるようで、母も記憶の混乱や障害がある。時々びっくりするようなことを口にする。年齢的に考えてもここが心配だ。次会う時に自分がわかってもらえるか、不安になる。

小室哲哉を批判している人たちの意見はとてもわかる。でもわかっていないとも思う。わからなくて当然。脳にダメージの受けた人の介護を経験していない人は普通わからない。母のような年齢ならともかく、若くして倒れた人の介護は特に辛いんじゃないかと思う。頑張りすぎて鬱になってきていると思う。ひどくなれば伊丹十三のように、さらにひどいと清水ミチコと同じこともしかねない。自分は会見を見て、よくぞ踏みとどまったという印象しかなかった。戦いはまだまだ続く。周りの人のサポートがとても大事。